箴言4章

4:1 子たちよ、父の訓戒に聞き従え。耳を傾け、悟りを得よ。

 父の訓戒は、懲らしめ等の教えです。それを聞くだけでなく、聞き従うのです。耳を傾けることは、聞いて受け入れることを表しています。そして、その教えを自分の教えとするのです。それがさとることです。そうすれば、それが自分の行動の基準となります。

4:2 私が良い教訓をあなたがたに授けるからだ。私の教えを捨ててはならない。

 その教訓は、良い教えです。それを捨ててはならないのです。

4:3 私が、父にとっては息子であり、母にとっては、かよわいひとり子であったとき、

4:4 父は私を教えて言った。「私のことばがおまえの心を支えるように。私の命令を守って生きよ。

 この方は、自分が子供であった時、父と母から教えられたことを披露しました。その内容は、彼が今教えていることと同じです。彼がその教えのうちを歩んでいないならば、このことを披露する価値はありません。彼は、父と母の教えを守って今があるのです。それで、父と母がどのように教えたかを伝えることができます。「私の命令」として教えることができます。

 同様に、教会にはこの人のように御言葉を教える働きをする人たちがいます。その教えの元は、聖書の言葉です。父や母からの訓戒のように、神の教えを取り次ぐのです。そのとき、それを教える者は、この人のようにその教えの中に生きている必要があります。教えられたことを守っていない人がいかに知識として教えたとしても、何の力もありません。

4:5 知恵を得よ。悟りを得よ。忘れてはならない。私の口のことばからそれてはならない。

 知恵は、御言葉を聞いて受け入れる分別です。悟りは、その教えを自分のものとし、行動の判断基準とすることです。その言葉の中に生きることです。それをするために、教えられたことを忘れてはならないのです。また、その教えから逸れてはならないのです。

4:6 知恵を捨てるな。これがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。

 知恵を愛するのです。大切なものとして守ります。捨ててはならないのです。知恵が、その人を保つものになります。

4:7 知恵の初めに、知恵を買え。あなたが得たものすべてに換えて、悟りを買え。

 第一のものは、知恵であり、知恵を得よ。あなたが得ているすべてのもの換えて、悟りを買うように命じました。

・「知恵」→知恵、技術、専門知識を指す。実用的な技術と道徳的な洞察力の両方を含む。初めの知恵は、一般的な意味で、後の知恵は、御言葉を受け入れ従う分別。

4:8 それを尊べ。それはあなたを高める。それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。

4:9 それは頭に麗しい花の冠を与え、輝かしい冠をあなたに授ける。」

 知恵と悟りを尊ぶことで、その人自身が高められます。主が高く引き上げられるのです。これは、人の前に高くすることではありません。自分の誉れを求める人には、そのようなことは魅力的かもしれませんが、それは、自分を現すことであり、肉の欲望の実現です。そのようなことが神の前に価値あることとして評価されることがありません。輝かしい冠を与えることはないのです。主は、私たちを高くし、光栄を与えられます。それは、結果的に多くの人に感謝を生み出し、神に栄光が帰せられます。

 それを抱きしめることは、愛して離さないことを表しています。その人には、誉れが与えられます。神の言葉を尊び、それに従うのを見て、神が高く評価し誉れを与えるのです。

 頭の花は、神の栄光が与えられることを、冠は、栄誉が与えられることを表しています。

4:10 わが子よ、聞け。私の言うことを受け入れよ。そうすれば、あなたのいのちの年月は増す。

 私の言うことを聞き入れることは、神の言葉を受け入れ従うことを自分のものとすることです。そうすれば、命の年月は、増します。いのちの年月は、彼が神の前に生きた者として歩む年月のことです。死んだ行いをしていたら、生きているとは言えないのです。神と一つになって歩む命を経験しますし、永遠の栄光を資産として受け継ぐ命も獲得できます。

4:11 私は知恵の道をあなたに教え、まっすぐな道筋にあなたを導いた。

4:12 あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走っても、つまずくことはない。

 この人は、知恵の道を教えました。神の言葉を受け入れ従う道です。教えを受けたその人は、その道を歩みました。その道を歩むとき、その歩みは妨げられません。走っても躓くことがありません。

4:13 訓戒を握りしめて、手放すな。それを保て。それはあなたのいのちだから。

 訓戒は、教えです。それは、その人のいのちです。それで握りしめて手放さないのです。それを保つのです。

4:14 悪しき者たちの進む道に入るな。悪人たちの道を行ってはならない。

4:15 それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ。

4:16 まことに、彼らは悪を行わなければ眠れず、人をつまずかせなければ、その眠りが奪われる。

4:17 まことに、彼らは不義のパンを食べ、暴虐の酒を飲む。

 悪しき者たちの道を通ってはならないのです。彼らと同じ行いをしないのです。それを無視します。それを避けて通るのです。それは、彼らの行いは、悪であるからです。人を躓かせるからです。それをしなければ眠れないのです。それは、彼らの追及していることであり、それによって満足を得るのです。彼らを満たすものは、不義のパン、暴虐の酒です。

4:18 正しい人の進む道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。

4:19 悪しき者の道は暗闇のよう。彼らは何につまずくかを知らない。

 正しい人の道の歩みには、光が照らします。それは、曙の光のようで、暗闇から輝き出るのです。そして、光が真昼となるように、その道の光が強くなります。それは、悪しき者の道が暗くなって躓くようになることと対比されていますので、その人の歩む道が明るくなることを表しています。それを照らすのは、真理の光であり、その人は、それをいよいよ自分のものとすることで、歩む道が確かにされることを表しています。

 悪しき者の道は、暗闇のようで、真っ暗です。真理の光が全くないのです。彼は、真理を受け入れないので、歩む道を確かにすることができないのです。教えによって教えられていないのです。彼は何に躓くかわからないのです。

4:20 わが子よ、注意して私のことばを聞け。私の言うことに耳を傾けよ。

4:21 それらを見失うな。自分の心のただ中に保て。

4:22 それらは、見出す者にとっていのちとなり、全身の癒やしとなるからだ。

 その言葉は、それを見出す者には命となります。言葉がいのちをもたらします。その言葉は、神の御心を示していて、それを行うことで神と一つになって歩む命を経験できます。また、義の実を結ぶことで御国において栄光を受け、永遠の資産としての報いを受け継ぐからです。それもいのちです。

 全身の癒しとなることは、比喩です。体の部位の一つひとつは、霊的比喩があり、目は、信仰、耳は、聞き従うこと、手は行い、足は歩みなどです。そのすべでが健全になります。

 それで、注意してその言葉を聞くことは大切です。

4:23 何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。

 人は、目に見えること、関心を抱くことを注視しますが、より大切なことは、心です。そこを見守るのです。心からは、命の泉がわきます。これは、聖霊の比喩です。聖霊に従って生きる時、命を経験します。御霊により、御心を行うことで主と一つになって歩む命を経験し、その結ぶ身によって、永遠の報いを受け継ぎます。これは命です。

4:24 曲がったことを言う口をあなたから取り除き、ゆがんだことを言う唇をあなたから遠ざけよ。

 そして、言葉を受け入れ従う分別により御言葉を受け入れたならば、それを実践することが求められています。それにより、全ての道が堅く定まるからです。

 曲がったことを言う口、ゆがんだことを言う唇を取り除き、遠ざけます。心に正しい御言葉を受け入れたならば、その教えに従って言葉を出すのです。相変わらず、曲がったことを言うのは、その教えが心に定着していないからです。

4:25 あなたの目が前方を見つめ、まぶたがまっすぐ前を向くようにせよ。

4:26 あなたの足の道筋に心を向けよ。そうすれば、あなたのすべての道は堅く定まる。

4:27 右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。

 目を前方に向け見つめるのは、歩むべき道筋を真っ直ぐ定めるためです。まず、目を向けるのは、信仰によって見定めるからです。心に植え付けられた教えにより、何がまっすぐなことかを判断し、前方を見るのです。見つめることは、堅く信仰により定めることを表していて、簡単には、目をそらさないのです。まっすぐでない方向に目をやらないのです。

 目を前方に注ぐことは、足の道筋に心を向けることであり、歩むべき道が教えに適っているかどうか心を向けることです。そうするならば、教えに適った道が堅く定まるのです。

 常に心を向け、右にも左にも逸れてはならないのです。逸れることは、悪に足を踏み入れることです。悪を遠ざけるのです。